リテラシー(文章)とオラリティ(口語)

「ロボット学論考」という本を今朝から読み出していて、そのなかにリテラシー(文章)とオラリティ(口語)の話で本来独立して存在している口語が文語に引きづられて変容しているという言語歴史学の話があって、なかなか考えさせられました。

 

「営業出身者ってなんでこんな論理で考えられ無いのだろう」というのを東京に来てから不思議でしょうがなかったのですが、リテラシの訓練を受けている人間とオラリティだけでクリアしてきた人たちの差なのだなというのを朝の都営浅草線の車内で納得。

 

携帯メールやツイッターレベルの短文は書いていても、論理構造を伴った文書と付き合いがないと、輻輳化した物事の切り分けと最小化が出来なくなるんだというのが腑に落ちました。

(私は取説・カタログ制作業務でその罠を抜けたつもり)

 

一部理系のオラリティの低さは置いといて、章立てされた階層構造を持つ文書を制作するというのが、今後の文系な方々の人生を分けて行くんじゃないかと思う次第。

理系はハード屋さんなら設計文書の階層整理と仕様書、ソフト屋さんなら論理構造に則ったコーディングと「章立てされた階層構造」と切っても切れない訳だし。

営業系も階層構造を持つ文書を書くトレーニングを早いうちにやらないと、年を取ってから辛いのかと思うのですよ。